歴史

●1978年 
2月22日 「空間サラン」という小劇場で「第1回空間サラン伝統の夜」という企画公演に「民俗楽会 シナウィ」の名前で、金ドクス、金ヨンベ、ヘグム奏者の崔テヒョン、ピリ奏者の李ジョンテの4名で「ウッタリプンムル」を座って演奏する。
この一演目の演奏がサムルノリ誕生のきっかけとなる。

4月「空間サラン」で2回目の演奏曲を発表する。この時は「第11回民俗楽会 シナウィの定期演奏会」の一演目として「12チャ農楽」を再構成した「慶尚道農楽12チャ36カラク」を座って演奏した。この時のメンバーは金ドクス、金ヨンベ、崔ジョンシル、そして兄の崔ジョンシクである。


●1979年
3月1日「空間サラン」で再び慶尚道プンムルカラクを座って演奏することとなる。この公演は「民俗楽会 シナウィの春 定期演奏会」の一演目として演奏する。
このチラシの紹介文に「民俗楽会 シナウィはその構成員皆が2、30代の若い層ながら、その演奏曲目は、サムルノリ、シナウィ合奏等、独特な曲を選択しながら、その演奏会場を心温まるように構成しました。実際に内外国人に関係なく全ての聴衆を虜にする事は、情熱と又、若者たちが持つ力と円熟味を同時にお見せできるからです。、、、、、、、、、、」
この公演で初めて「サムルノリ」と名称される。
「サムルノリ」の呼称は初めからサムル楽器で演奏する音楽という現在の事典的意味を持っていなかった。
民俗学者 故 沈ムソン先生が4名のサムル奏者たちのチーム名として名付けた。
サムルノリがその後、意味が拡大し、ケンガリ、ジン、チャング、プクの合奏の意味を持つ音楽を称するようになった。
10月22、23日には「空間サラン」で「京畿都タンクッ」のムソク長短を整理し発表する。

●1980年  サムルノリの伝説の始まり
創立メンバーとさ金徳洙(キムドクス)金容培(キムヨンベ)、李光壽(イグァンス)、崔鐘實(チェジョンシル)は8月29日、韓国音楽研究所主催で4名のメンバーが初演奏を持った。この時の演奏曲目は「中部」「嶺南」「湖南」地域の風物カラクをすべて座って発表した。発表した「ウッタリ農楽」「慶尚道12チャ農楽」「湖南農楽」はこの公演から新しいレパートリーに追加された。
現在は日帝時代に付けられた「農楽」という言葉は使用せず本来使用していた「風物ノリ」としている。

9月29日「空間サラン」で公式的にサムルノリの発表公演が一般観客を対象に開かれた。「コルリッペ風物」というタイトルのこの公演が伝説が始まる最も意味のある公演と位置づけることが出来る。
この公演で座って演奏するけでなく京畿道、忠清道地域の風物を「パンクッ」として立って演奏し、コサソリ「ピナリ」も行なった。

7月にソウル敦岩洞に「韓国伝統芸術保存会」の名前で練習室を設ける。

●1981年
81年には既存の風物、ムソクの長短を更に精巧に整える傍、伝統の閉ざされていた民俗楽を演劇、舞踊、TVドラマ、大衆音楽などと新しく合わせていった。
マダン劇「トソンセンジョン」の作曲及び演奏。演劇「春が来たら山へ行く」演劇音楽担当。
ミュージカル「ホセンジョン」演奏及び出演。「現代舞踊公演」の作曲及び演奏。
KBSドラマ「TV文学館ヂンソリ」ドラマ音楽を作曲及び録音。
9月にはMBC TV局「国楽の泉」に出演しサムルノリの存在を一般人に本格的に広く知れ始めた。
11月には「空間サラン」で南米、アフリカ打楽器奏者の共演でサムルノリを通して長短の素晴らしさを再認識させ、海外進出の熱望と自身を確信する。
12月には当時最高のスター、チョヨンピルと共演。

「ピナリ」「パンクッ」がサムルノリの演目として定着し始める時期。

●1982年
6月末から東京にある韓国文化院(当時:池袋、現在:四谷3丁目)公演、民団、武蔵野音大、日比谷野外音楽堂での公演を皮切りに、日本を始めとする海外での活動を開始する。
10月からアメリカでの演奏、ツワーを開始。

この年「三道ソルチャンゴカラク」を発表。

●1983年
2月ソウル市立交響楽団のソリストとして「サムルノリの為の協奏曲マダン」を演奏する。この当時、伝統音楽と西洋音楽とのアンサンブルは想像も出来ないことであった。
夏、「日韓伝統打楽器交流公演」に出演の為に日本を訪問、その後本格的に日本ツアーが始まる。アメリカツアー継続。
この年初のレーコディングを行う。

●1984年
創立メンバーの一人金ヨンベが国立国楽院サムルノリチーム首席となり脱退することとなる。
4月14日世宗文化会館小劇場を最後に金ヨンベは脱退する。
この公演で「ピナリ、三道ソルチャンゴカラク、三道農楽カラク、パンクッ」の順で構成し、サムルノリ正規レパートリーを確立。初めて完成した形態で発表する。
6月カナダトロント国際フェスティバル参加。スーパーカッションに参加。
その後オタワ、ケベック、ニューヨーク公演。
金ヨンベの代わり9月からカンミンソクが正式新メンバーとして合流。
金ヨンベが脱退後、9月までの間には南ギムン(男寺堂保存会)、金ジョンヒ(東海岸別神クッ)などが代わりがわり空席を埋めた。
10月東京にある「増上寺」公演。
また、ジャズミュージシャンとの共演を多く行う。

●1985年
チーム名で始まった「サムルノリ」がこの頃から「韓国の伝統打楽器で演奏する音楽」と称する普通名詞での使用が始まる。「国立国楽院」を初め、「トゥンセ」「プンムルノリマダン」など新しいサムルノリ団体がこの時期に出てくる。
70回を超える海外公演をこなす。
特にイギリス公演を皮切りにヨーロッパデビューする。
イギリスBBC-TV「Peter Blue」サムルノリ活動ドキュメンタリー放映。
アメリカ公演、日本公演は北海道から重要都市37回の巡回公演。
近藤等則、仙波清彦、千野秀一などの共演公演を開始する。






サムルノリの誕生から整理しています。

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